作曲家を知ろう➁



和音に命を吹込み、イメージを喚起させる作曲家。
「作曲家を知ろう②」は、前回blogに載せたドビュッシーです。
彼はロマン派から前衛芸術への過渡期を担う、スキャンダルだらけの不器用な天才でした。

クロード・アシル・ドビュッシーは1862年、フランスはパリから20キロ程離れたサンジェルマン=ア=レという場所で陶器店の息子として生まれます。
しかし暮らしは貧しく住まいを転々とし、十分な教育を受けられませんでした。小学校にも通っていません。
とはいえ、10歳で入学したパリ音楽院では次第に成績を上げていきます。

音楽を通して裕福な人々との交流が始まります。文学のサロンにも通い、仲間が増えました。その中で「貴族趣味」といわれる程、美しいもの、価値のあるものに執着するようになります。コレクションは仏像、エジプトの壺、浮世絵など数多くあり、葛飾北斎の「神奈川沖波裏」は書斎に飾るだけでなくオーケストラスコアの表紙にしました。
しかしその浪費癖で生活はしばしばひっぱくしてしまいます。

ドビュッシーは、心を開く友人はいたものの、頑なでこだわりが強く、結局は仲違いすることの多い人柄。女性問題もドビュッシーを語るときには外せない程です。
そしてトラブルのせいで、せっかく築いた音楽界での立場を追われることになり、時代の第一線から少しずつ退くことになっていきます。

芸術は抽象的前衛へと進みますが、ドビュッシーは抽象化を試みながらも聴衆の理解し得ない音楽について危惧していました。
「音楽の本質は形式にあるのではなく色とリズムを持った時間である」という価値観を打ち出した彼の音楽は、どこか心地よく魅力的。聴く者をその音楽に参加させます。
練習中も作品と向き合う時は興味深く、豊かな時間です。

晩年は腸の病気で闘病し経済的にも苦しい中、作曲を続けます。
そして自分を信じ、音楽の常識を変えた特別な人物は、少し早い55歳で人生の幕を閉じました。



2020年08月21日