作曲家を知ろう①
「愛の夢」「ラ・カンパネラ」などを作曲したフランツ・リストは超絶技巧のピアニスト、ハンサムで社交界のアイドルだったことで知られています。
しかし、リストの内面は劣等感や憧れ、葛藤などが強く、悩んだ時期もありました。
今回は「作曲家について知ろう①」と題してフランツ・リストを挙げてみました。
作曲家や時代背景等を知ることで演奏への理解が深まります。
私にとっては、リストには生きる姿勢も教えられています。
リストは1811年、オーストリア領ライディングという小さな村で生まれました。
ハンガリーを祖国としていますが、ハンガリー語が話せなかったのは有名です。
幼いころから貴族の前で演奏するなど、音楽の才能を発揮しましたが、17歳の時に挫折を経験します。
父親が亡くなり、フランスでピアノ教師となったリストは、生徒であるカロリーヌ・ドゥ・サン・クリック伯爵令嬢と恋人同士になりました。ところが彼女の父親は、田舎出身の音楽家との交際を許さず、リストとの間を引き離しました。
多感な時期でもあり、リストは深く傷つき、2年程引きこもってしまいます。
キリスト教の教えに傾倒し、音楽には天賦の才がありましたが、高等教育を受けていなかったので、文学、哲学、宗教を熱心に勉強します。後の手紙に「カトリックの厳格な信仰行為に没頭する他ありませんでした。」と書いています。
そして1830年のパリでの7月革命も後押ししてか、次第に自信を取り戻していきました。
こういった謙虚に学ぶ姿勢は生涯変わらず、音楽界のためにも様々な貢献をしました。
ほかの作曲家の作品を親しみやすく編曲し人々に広めたり、音楽院を作って教育したり。
また当時、音楽会の多くは何時間もかけて交響曲や協奏曲、オペラ、即興演奏など、一度にたくさんの曲目が演奏されていましたが、リストは「リサイタル」形式の1人演奏会を広め、現在の演奏会形式につながっています。
さらに、晩年まで作曲技法も研究し、無調音楽にも発展させています。
亡くなる6日前、弱った体を推してでも必要とされた音楽会に行くようなリスト。
今ではバイロイト音楽祭で有名なドイツのバイロイトに眠っています。