作曲家を知ろう④



ロシアの作曲家、セルゲイ・ラフマニノフ(1873〜1943)。
愁いのあるメロディ、息の長いフレーズに、雄大なロシアのイメージを思い浮かべる人も多いでしょう。
ドラマティックで重厚な和音の音楽はとても魅力的です。

辻井伸行さんがバン・クライバーンコンクールで弾いたラフマニノフピアノ協奏曲2番には多くの人が感動し、話題となりました。
https://youtu.be/dGX3temma5Q


ラフマニノフは、繊細で簡単には心を開かず、仏頂面だったと言われています。
貴族の家系に生まれながら、父親の散財で没落してしまい両親は離婚。
親元を離れ、寄宿しながらモスクワ音楽院で学びました。
次第に作曲にも興味をもちだしますが、師匠のズヴェーレフは作曲を禁じ、ピアニストとして精進するよう厳しく言いつけます。しかしラフマニノフは作曲への思いが強く、師匠と袂を分かちました。
ところがその後、作曲した交響曲は酷評、文豪トルストイには作品を否定され挫折します。ノイローゼになるほど苦しみますが、ときを経て蘇りあのピアノ協奏曲第2番によって、作曲家、ピアニストとして成功を果たしました。

第一次世界大戦、祖国ロシア革命と厳しい時代の中で、40歳半ばに亡命。スイスやアメリカに拠点を移します。
以後作曲することは減りましたが、ヴィルトゥオーゾといわれる超絶技巧をもつピアニストとして多忙な日々をがんで亡くなる直前まで続けました。


浅田真央さんがオリンピックのフィギュアスケートで取り上げたプレリュード「鐘」は19歳の時の作品。早熟な天才だったことがわかります。
当時もラフマニノフ自身が弾き飽きるほど大人気の曲でした。
ロシア教会の鐘の音は人々にとって信仰と生活の支えであり、ロシアの作曲家はしばしば作品に用いています。


今回は、ラフマニノフ自身による演奏のプレリュード「鐘」を載せます。


2021年09月14日